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こんにちは。
3月31日をもって、約9年勤めた会社を退職しました。
長かったような、あっという間だったような…
私がこの会社(調剤薬局)に入社したのは、平成25年5月27日でした。
なぜこんなに日付まで鮮明に覚えているかというと、5月27日は旧海軍記念日だからです。また、私の最推しである広瀬武夫氏のお誕生日(旧暦)でもあるからです。
この日を狙って入社したという訳ではなく、月曜日で切りがよかったからです。たまたまです、たまたま。
割と円満だった人間関係
調剤薬局に事務員として入社したのは2件目(厳密にいえば3件目)で、この前の調剤薬局の社長が最悪な人でして…まぁ、パワハラセクハラが横行していたんですね。最後は会社と無関係の私の親兄弟まで馬鹿にし貶める発言をし始めた為、辞めました。
そんな経験があるので不安を抱えたままの同業他社への転職でしたが、店舗数も多く、ひと店舗に最低でも3人は従業員がいましたので、前社のような二人っきりでずっとパワハラセクハラ…という事はありえません。
当時、私は2店舗掛け持ちという形で勤務していました。配属店舗はA店ですが、午前中はB店、午後からはA店。
なぜこんな勤務状況なのかというと、A店の門前のクリニックは患者数が少なく、B店の門前の病院は患者数が多く施設も併設されていて忙しいからです。午後より午前中の方が処方せん枚数が多いので、午前中のみヘルプに入っていたのです。
前社では事務員は私一人で、前任の事務さんから碌に引き継ぎをされない状態でやっていたので、自分以外に事務さんが居て、自分より経歴の長い人ばかりだったので、とても働きやすいと感じた事を覚えています。
いやー、分からない事をすぐ聞けるって良いな〜!
思えば、事務員で歳の近い人はいませんでしたが、薬剤師さんでは歳の近い人と仲良くなれて楽しく仕事出来ましたし、歳の離れた事務さん達とも何やかんや上手く関われたと思います。
気付けば親子程歳の離れた人ともふざけ合える程に仲良くなりました。笑。
人間関係は割と良い会社だったんですよね。人間関係は。
給与はイマイチだった
しかし、給料については、うーん…
お世辞にも良いとは言えませんでした。
それでも働き続けたのは人間関係の良さと、ライフイベントにおける退職のタイミングを逃し続けていたからです。
低い給与額でも、香川県なら独身・親と同居・実家暮らしなら問題なく暮らせました。
しかし、結婚して子供も生まれて家も買って…。生活に必要な月々の金額が増えるとちょっと厳しくなりました。
自分の年齢と勤務年数と業務内容を鑑みて、正直プラス3万円…せめて1万円は欲しいところ。
勤めていた会社の事務員は昇給はありませんでした。どんなに長く勤めようが、様々な仕事をこなそうが、ずーっと入社時の基本給のままです。
私が入社して5年後くらいから事務員の求人に記載される基本給与額が上がり始めました。現在では、約一万5千円程上がっているようです。
これ、「給与額が上がるなら良い事じゃん」と思われますよね。実は、古参事務員の給与額は元の給与額のままなのです。
1円たりとも上がっていません。
つまり、実務経験なし・関連資格なしで入社した新人さんが、10年以上勤務しほとんどの業務ができて資格も持っている社員より支給される給与額が高い、という訳です。
あり得んでしょ。
いや、給与だけが全てじゃないのは分かってますよ。でも、これはあり得んでしょ。
案の定、求人を目撃してしまった社員たちは不満爆発ですよ。
(※事務員のみならず薬剤師の給与額もそんな感じらしいです…)
私は育休復帰してからは、時短勤務のパート社員扱いになりました。
パートなので時間給になるのですが、時給や有給について全くお話しがありませんでした。私は時給額を知らないまま復帰し働き始めたのです。
子供の体調不良等で一日も休まず有給を使わなかった月がありまして、給与明細を見て改めて愕然としましたね。
「え、月150時間近く働いてこの手取り?」と。
そこで、記載された基本給額を勤務時間で割ってみると、見事に最低賃金ギリギリ!
うわーっ!(吐き気を催す絵文字)
因みに退職金の支給もなしです。
垣間見える適当っぷり
さて、以前記事に書きましたが、県による新型コロナウイルスのPCR・抗原検査等無料化事業の補助金目当ての参加。
検査無料化事業のアレコレで店舗異動しました
参加するにあたって、万が一従業員が感染・陽性者になった場合の対応や助成についてはほぼ考えなしだった事。
いやいや、補助金目当てで事業に参加するのは別に良いのだけど…事業の内容が内容なだけに従業員やその同居家族の生活に関わってくるのですが、会社が何も考えずに利益を優先させてるってのが嫌ですね。
去年の12月上旬に、店舗のミスで患者さんに迷惑がかかった事があり、社長と店長が対応したのですが、従業員に対して社長が「俺に謝らせるな」とガチギレした事もありました。
この出来事が決定打になり、退職を決意したのです。
退職間際にも、登録販売者の転職に必要な書類になかなか判子を貰えなかったり、そもそも書類の記載をしてもらえない。
この会社は「判子は押してあげるから、あとは自分で書きなさい」というシステムでした。
普通の企業って、従業員が社外に提出する、又は公的な書類って担当者が記入するものであって、提出する本人が記入するものではないと思うのですが…
こういう所もテキトーですね。
終わりに
いろいろ書きましたが、何やかんや言って働きやすい会社でした。
テキトーで緩い。それが良いのか悪いのかは分かりませんが、田舎の薬局で方言丸出しで事務と少しの接客をして働きたい人には向いてると思います。
私にとって一番良かったのは、やはり人間関係の良さでしたね。
イラストやデザインのスキルを活かして会社パンフレットやポスターを作ったり、会社のブログで薬局とは関係ない内容の豆知識記事をたくさん投稿しました。
あ、社長の代わりに薬剤師会の仕事をした事もありました。
どれも特別給与が増える事はありませんでしたけど。
最後は(多分)円満に辞められましたし、本当にいろいろあったけれど良い経験の出来た約9年でした。
それでは。
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